こんばんは。
今日のNicoの心の天気は「晴れ?かな」って感じです。悪くないようです。
お留守番アルバイトもなんなくこなし、私が仕事から帰るまでに公文の宿題も終わっていました。
不登校の子どもが家で勉強が出来るようになるまで
我が家の娘 小学5年のNicoは、今は公文のおかげもあり勉強は遅れるどころか学校よりも進んでいます。
でも、不登校になった始めの1年ちょっとは遅れていました。
というより、止まっていました。
学校に行けなくなった始めの1か月ぐらい
このころのNico(小3)は、私に学校に行けない自分を受け入れてもらえた、容認してもらえたことにどこか後ろめたさを感じていたんだと思います。
この期間は私がつけた条件
「学校にいかなくてもいいから、学校と同じように勉強をすること。」を守ろうと頑張っていました。
なので、日中は学校の時間割りと同じ感じで進行していました。
この期間は、私が条件をつけているように、百歩譲ってNicoの要望を聞いている状態でした。私は、すぐに学校に戻るだろうと考えていました。
その後、1年間ぐらい
私からの「学校」という言葉がタブーになりました。
「学校」「勉強」という言葉を聞くだけで、Nicoはひどく怒ったり、不機嫌になったりです。
Nicoの顔からは笑顔が消え、ごはんも食べなくなり、私は学校へ行かせることを諦めざるおえない状況になりました。もう、Nicoを学校へ行かせるのは無理だ。Nicoが壊れてしまうと思いました。
勉強は全く?ほとんどしなくなりました。
まじめなNicoは、毎日の宿題だけは遅れながら何とか提出をしていました。
Nicoは、学校の勉強をしていないので宿題が自分では出来ず、私が書いた答えをそのまま写していました。勉強というより書き写す作業です。
2016年11月に公文の体験学習に参加しました。
1年4か月間止まっていた勉強が進み始めた時です。この時、Nicoは4年生でしたが、止まっていた3年生に戻って公文を始めました。
公文を始めた、始めようと思ったきっかけはCMです。
でも、Nicoに再び勉強をやってみようと思わせたのは、私と4年生の担任の先生だと思います。
以前のブログでも書きましたが、4年生の時の先生は私たち親子に無関心だったんです。
私は、この先生が担任の間は「Nicoは学校に行かないほうが良い」と考えていました。私のNicoを学校へという思いがなくなった2学期ぐらいから、Nicoは不思議と元気になっていきました。
私の学校へという思いがNicoの元気をうばい、やる気をそいでいたんですね。
親って、私って何なんでしょうね。少し悲しいです。
親が学校に行かないことを認めてくれたら、子どもは明るい野原にすぐ出られます。360度全方向に開かれていて、どこへ向かって歩みだしてもいい、自由な世界が待っています。ところが、親が認めてくれるのに手間取ると、親の不安にいざなわれ、迷路になった暗いトンネルの中に入って行くことになります。いずれの道を歩くかによって、子どもの人生は変わる可能性があります。
親に求められていることは、子どもが学校へ戻ることを潜在的に期待して「待つ」ことではないと、子どもたちが教えてくれています。親もまた、ひとりの人間として自分の人生を大切に生き、自分の歩幅でわが道を歩むことです。子どもの将来を心配するあまり、子どもの人生を横取りして、親が安心する生き方に変えてしまわないように、心がけたいものです
引用先 内田 良子 著 登園しぶり登校しぶり
この本を読みました。私は今も潜在的に期待して学校へ行くことを待っています。どうやったら期待せずに待てるのかしら?
子どもが家で勉強が出来るようになるまで
Nicoの場合ですが、親の私が心から「学校なんてもういいや。Nicoは学校に行かないほうがいい。」と思ったところから、勉強ができるようになりました。
1年4か月止まっていた勉強ですが、公文に通いだし3か月ほどで取り戻せました。
なので、勉強が止まっていても小学生のうちは心配はいらないと思います。
本人がやる気になればあっという間です。
↑ これが難しいですね・・・。
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