こんばんは。
今日は、週始めの心が苦しい日でしたね。
Nicoはいつも通り家にいました。
Freeは起きてすぐ
「今日学校行きたくないな。休みたいな」
と言い出しました。
私は、内心ドキッとしましたが、平常心を装いつつ
「家に居ても暇じゃない?どうせお休みするなら、パパと一緒に遊びにいける日のがいいんじゃない? すぐは、会社を休めないから、もっと、後になるけど、どこ行きたい?」と明るい声で話しかけました。☜かなり努力してます。
Free「そうだね。そうするよ。今日は学校行っとくね。」
騙し騙しですが、何とかFreeを誘導できました。
まだ、1年生だから私の思惑通りに進みましたが、中学年、高学年と難しくなるんでしょうね・・・。
いろんな苦しい・つらい記憶を塗り替える
今日は、私のひとつ上の兄について書きたいと思います。
私の兄(42歳)は、小学校の高学年から中学を卒業するまでの長い期間、いじめを受けていました。でも、今の兄には、いじめの記憶がない?ようです。
苦しい・つらい記憶だから忘れたくて忘れたというより、心も体も大きくなり自分に自信がつき、嫌な思い出が小さくなり、楽しい思い出で塗り替えられたのだと思います。
私から見た兄の性格
・明るい
・チャラチャラしている
・おしゃべり
・優しい
・動作に移すまでが遅い
私の記憶では、
兄はいじめられていた時、家でも学校でも落ち込んだ様子をみせず、笑っていたと思います。優しい性格なので先生に告げ口をすることも、嫌だということもなかったと思います。悲しいことにいじめっ子にとっては、兄はとってもいい標的だったんじゃないかなと思います。
私が覚えている兄へのいじめは、文房具を盗まれたり、隠されたり、頭をたたかれたり、「エイズがうつる。」と言われたりしていたことです。
妹の私にまでいじめが見えるということは、きっともっとされていたんでしょうね(>_<)
いじめって難しいですね。
子供のころの私は、兄がされていることが、いじめだったと認識していませんでした。私が大きくなって、あの時兄はいじめにあっていたんだと理解した感じです。
なので、兄の周りの同級生もいじめとは認識していなかったんじゃないかな。
兄は、親にいじめられていることを話さなかったそうですが、母が兄の様子がおかしいため、幼なじみの女の子から学校での兄の様子を聞き出し、父が学校にいじめについて相談に行ったそうです。
母はあの時父が
「女のお前が相談にいくより、父親が相談に行くほうが重く受け止め、対応をしてくれるだろうから、学校とのやり取りはすべて私がする。」と言ってくれたと聞きました。
母は嬉しそうにその話を大人になった私にしていました。
中学のころ、私は学校で兄の友達から「お前○○の妹やろ?」と笑われたり、からかわれたりしていました。
でも、私は兄とは違い抵抗するので
「うるさい!!話しかけないでくれますか?」と、にらみつけたりした記憶があります。
その様子を見ていた兄が家で私に
「学校で俺をみたら遠くに行ったほうがええよ。学校では話しかけなくていいからな。」
私「うん。わかった。」
どんな気持ちで兄は私に話をしたのでしょうか?
このころの私は、思いやりに欠けていた?自己中?子ども?だったので、兄の優しさ・気持ちに気が付かずに、 「面倒だし言われなくてもそうするし、そうしてるよ。」と口に出しては言っていないものの心で思っていたのを覚えています。
兄はいじめのこともあり、両親の勧めで高校は家から少し離れたところに通うことにしました。
環境が変わり、兄へのいじめは消えました。
なので、今、いじめを受けている子もその子自身に問題があるわけではなく、環境で良いようにも悪いようにも変わると思います。
兄は高校では、友達も彼女もでき、私より幸せで楽しそうでしたよ。
つらい記憶消えた?
大人になった兄(35歳ぐらい?)が、中学の同窓会に出席すると母から聞きました。
私「お兄ちゃん、中学時代いじめられてたのに同窓会に出席するの嫌じゃないの?」
母「お兄ちゃんには、いじめられてたこと言わないで。何か全くいじめの記憶がないようで、いじめの事を少し話したら、そんなことあったけ?って言ってたから。」
どうやら、兄のつらい記憶は、すっかり忘れた?消えた?ようです。
想像ですが、つらい記憶が消えたというより、楽しい思い出に塗り替えたんだと思います。兄は大人になり、自分に自信が付き、幸せな家庭もありますからね。
兄のすごいところ
私から見た兄は、たくさん悪いところもありますが、人としてすごく優しいです。
悪いところ(妹なので辛口です)は
頭が恐ろしく悪い(勉強)、おしゃべり、のりが軽い、動作が遅い。
頭が悪いのは勉強に関してです。
宿題でわからないところをいつも妹の私に聞きにきます。
良いところ、優しい、思いやりがある。
兄のエピソード
・兄の一人目の子がダウン症とわかった時、すぐ私に電話(遠方のため)をくれました。
兄「俺の子、ダウン症だった。でも、遺伝性の病気じゃないから大丈夫。お前の結婚の時に、相手の親に結婚を反対されたら俺が説明にいくからな。ごめんな。」
※兄は子はダウン症ですが、家族みんなとても幸せそうに暮らしています。うまく伝えられませんが「兄のごめんな」は、ダウン症の子供を生んだことに対してではありませんのでご了承ください。
・兄が結婚を決めたとき
結婚相手の彼女の身長が135cmととても小柄だったため、私の父親が兄に聞きました。
父「今の彼女と本当に結婚するのか?大丈夫なのか?」
父親は結婚に強く反対はしませんでしたが、背が低すぎるのが出産など含め心配だったようです。
兄「おやじより俺のが女のことは良く知っとるわ。おやじに心配されたくない。」と笑いながら話してました。
父「そうか。それなら、言うことないな。」
兄はこんな感じの性格なんです。
父に結婚を反対のようなことを言われたのに笑って返す、父よりうわてですね。
いじめっ子の今
いじめが始まる原因になった、K君は実家から歩いて3分のところに住んでいます。
家が近いこともあり、幼稚園ぐらいのときから、我が家によく遊びに来ていました。私もよく一緒に遊んでいました。
そんな近い友達がいじめの発端だったんです。
家が近いこともあり、私は大人になってから、すれ違ったことがあります。
K君は私が挨拶をしても、目を合わせずお辞儀だけでした。
いじめられた兄は、前を向いて堂々としているのに、K君は下を向いています。
きっと大人になって、自分のしていたことが、人を傷つける行為だったと認識したんでしょうね。
K君が兄をいじめ始めた原因は、K君の親が厳しかったためだと、私の母が話していました。中学受験のために家のテレビをなくし、ゲームも取り上げて、毎日、塾通い。
いじめは、許されない行為ですがK君もストレスで押し潰されそうだったんでしょうね。
最後に、
不登校の子の親、いじめられている子の親も、表だって親が出来ることは少ないと思います。
子供の心が壊れないように見守り、話を聞くことに尽きるのかな。
難しいですね。
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