こんばんは。
今日のNicoの心の天気は「晴れ」でした。
Nico(5年)は、9月末?ぐらいから、学校へも適応指導教室にも行かずに家にいました。
それが、今朝は起きてくるなり
Nico 「今日は適応指導教室に行くね。」
って言いだしたんです。
びっくりです。
久しぶりなのと、疲れさせても行けないので、10時から12時までの2時間適応指導教室でお世話になりました。
そして、Nicoは笑顔で帰ってきました。
何故学校にいくのか?
ブログのコメントのやり取りで仲良くさせて頂いているgdoragonmfさんの記事に関して、不登校の親目線で私も書きたくなりました(^▽^)/
「何故学校に行くのか?」について、私自身は、子ども時代も大人になってからもNicoと向き合うまで真剣に考えたことはありませんでした。
私には、大きな太い道一本しか見えていなかったから、考えずに真っ直ぐ進めたんだと思います。
Nicoや不登校の子には、私には見えなかった細い狭い枝分かれした道がたくさん見えているのでしょう。
確かに学校でしか学べないこともあると思います。
でも、違う道を進んだ子にしか経験できない学べないこともあると思います、そう思いたいです。
その道は、かなり回り道かもしれないけど、自分で一つ一つ考えながら、自分のペースで進める道ですね。
興味があった場所では、立ち止まり、掘りさげ、そこにきっと秘密基地も作れます(^-^)
そう思うと楽しい道ですね。
Nicoは、自分のペースで進みたかったから、学校に行かなくなったんだと思います。
Nicoは、ひとつのことをやりだすと小さい頃から長時間没頭します。
それは、ご飯も食べずに何時間でもです。
家でなら、ご飯の時間も中断せずに、おにぎり片手に好きなことを続けられますね。
学校だったら?
興味があることを途中で止めることは、ストレスになる。
周りを気にせずに没頭したいのに周りの様子が気になる。
Nicoが学校に行けなくなったのは、そこなんだと思います。
Nicoは、今はまだ「何故学校にいくのか?」に答えを見つけていないけど、いつか「自分が好きなことを学ぶのに学校は必要がない。」と答える気がします。
「何故学校にいくのか?」の答えになっていませんね。
不登校初期のころと、なぜか昨日、Nicoから「学校は何のために行くのか?」と聞かれました。
不登校初期のころの私とNicoの会話
Nicomama「社会に出たときに困らないようにすること、将来なりたいものを見つけるために行くのかな?」
Nico「うーん。そっか。学校には行かないけど、社会にでたとき困らないように、学校で習うことを自分で勉強することにするね。」
と言っていたような気がします。
昨日の私とNicoの会話
Nicomama 「将来なりたいものが出来たときにそれに必要なことを学ぶためかな。」
Nico 「私は、宝石鑑定士になりたいから何を学ぶ必要があるの?」
Nicomama 「たぶん、地学、化学が必要になるから、今は算数が大事かな。外国へも行くだろうから英語も大事かな。」
Nico 「わかった。公文でがんばるね。」
いつの間にか学校という言葉は、どこかへ消えていました。
Nicoは、自分が将来なりたいものになるのに学校は必要ないと無意識に思い始めてるのかも知れません。
もちろん、学校は集団活動、秩序、協調性を学ぶために必要だとは思います。
将来なりたいものを探す、勉強するといった意味では必要がないのかもしれません。
いろいろ考えましたが、「学校は集団活動、秩序、協調性を学ぶために必要。」が私の考えです。
こればっかりは、不登校のNicoには手に入らないものですね。
でも、世の中いろいろな職業があります。
そんなに悲観することもないですね。
この考えは、不登校という特殊な環境から出てきたものなので、学校を否定するものではありません。ご了承下さい。
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