こんにちは。
今日のNicoは、お留守番バイトの日でしたが、調子が悪い中でも頑張ってこなせました。賃金Getです!
今日は、昨日のNicoの懇談について書こうと思っていましたが、気になる?モヤモヤ?する記事を見つけてしまったので、懇談の話は後日にしたいと思います。
前向きな不登校を選択した親子の挑戦の記事について
この記事を読んで不登校の親である私はモヤモヤしています。
お時間ある方は是非読んでください。
我が家の小学5年のNicoは、学校へ通う中、いろいろな経験をして、現在不登校になっています。 きっと、本人が学校へ行けなくなる状態になるまでには、長い期間もがいていたんだと思います。
その結果、学校に行っていなくても、どこにいても、学びたい気持ちがあれば、前に進んでいけるという道を切り開きました。
Nicoのもがき苦しむ中での前向きな姿が、私、周りの方たちに「NicoにはNicoの道がある」と認めさせたのだと思います。
家族以外の大人が日々出入りし、書道や演劇のワークショップなども自宅で開催してきた。一般的な家庭よりもにぎやかな環境で、絵里ちゃんはのびのびと育ち、人懐っこい、物怖じしない性格となった。「友達作るのなんて簡単だよ」。天真爛漫な笑顔は、いわゆる「学校に行くつらさを抱えて不登校となった子供」のイメージとは程遠い。
記事からの引用です。
これが不登校?
いろんな道があって当然なのですが、申し訳ないのですが、私はモヤモしてしまいます。
私の頭が古い、柔軟性にかけるのかもしれません。
心の狭い私は、Nicoは、学校に適応できなくて、不登校になった子と烙印を押されて、分けられている気がしてしまいました。
この記事を読んで悲しく、そして苦しくなりました。
もしろ、前向きな不登校を不登校という同じ枠組みにいれるから、モヤモヤするのかもしれません。
子供の可能性を広げる、教育の多様性という意味では新しい試みでいいのかもしれませんね。
不登校の子供の影響を受けるクラスメイト
私の耳には入ってはきませんが、Nicoの影響を受けて学校に行くことを嫌だ、または、好きな授業、イベントだけ出たいと言いだす子が出てくるのでは?と心配になります。
私は、Nicoに毎日連絡帳を届けてくれているお友達の心の動きも心配です。
些細で、しかも、それが助けになるのかもわかりませんが、連絡帳を受け取るときに、必ずお礼の言葉とその子の話を聞くように心がけています。
不登校の子ども(=Nico)が与える悪い影響ってあると思うんです。
その辺の議論は表だって出来ないと思うので、出てきませんね。
何をしたらいいのかわかりませんが、当然の権利として自分の子の自由を得るのではなく、周りの子供に与える影響も、不登校の親、当事者が考えていく必要があるのではないかなと思います。
あと、不登校児童に細やかに対応してくださっている先生方に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。
私がNicoの担任だったら、正直な話面倒だなと思うからです😃
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