Nico 心の天気 小学3年生から不登校

小中と不登校のNicoが通信制高校に入学するも退学。

Nico不登校を振り返る

今までの簡単な経緯

Nico:小学3年生から突然始まった不登校。今は通信制高校を退学して家の守り神となっています。

Free:中学2年生の弟。Nicoの影響をうけて、たまに登校渋りをしています。

 

こんばんは。

 

Nicoの心の天気は「晴れ」

 

今日は朝からカフェへ

車で送迎はしていますが、Nico1人で1時間過ごしてきました。

モーニングセットを食べて、頭の中を整理してきたそうです。

 

Nico「早朝のカフェは一人客が多くて静かでいいね!」

 

カフェは贅沢と考える人もいるでしょう。

Nicomamaも学生時代から頭の中を整理したり、本を読んだり、気分の切り替えをするために利用したりしてきました。

Nicomamaの父も昔からカフェを利用していました。

Nico家にとってカフェはなくてはならない場所

 

それに、Nicoは学校へも行っておらず、授業料もかかっていません。

部活もしていないので部費、ユニフォーム代、遠征費もなし

外出もあまりしないので、洋服代・交際費も少し

Freeに比べてお金がかかりません。

カフェぐらい好きに快よく行かせてあげたいと思っています。

 

 

Nico不登校を振り返る

 

Nico「私が不登校になってからの決断で一番よかったと思うのは、公文を習おうと思ったこと。あのころの自分を褒めて上げたい。公文をやってて良かったと何度思ったことか。」

「小説家になれたのも公文の国語をやっていたからだと思うし、小学2年生までの義務教育だけではさすがに小説家にはなれなかったと思う。」

としみじみと話していました。

 

公文との出会いは、不登校になって1年半が過ぎたころ

完全不登校にも慣れてきて元気も食欲も少し出てきたころ

タイミングよくテレビのCMをみて突然習いたいと言い出しました。

 

www.nicohappylife.com

 

自分から公文を習いたいと言い出し始めましたが、コンスタントに続けるのはなかなか難しく、行き渋ることも多々ありました。

それにNicoは、気持ちの浮き沈みが周期的におとずれるため、元気のない周期は(2.3カ月の間)教室に行くことが出来ず、何回も入会、退会を繰り返してきました。

ほんと迷惑な生徒ですよね…。

4回?5回?出たり入ったりしました。

 

嫌な顔をせず、何度でも受け入れてくださった先生に感謝の気持ちでいっぱいです。

今でもNicoは自分の新刊が発売されると本を教室へ届けています。

 

 

不登校になって失ったもの 後悔していること

 

不登校になると学校へ行けなくなるだけでなく、習い物にもだんだん行くことが出来なくなっていく子が多いと思います。

親としては小さなころから頑張ってきたこと、少しでも人と繋がっていて欲しい気持ちもあって、習い事をやめることはかなり苦しい決断になっていると思います。

 

Nicoの場合は、すべての習い事を辞めることになりました。

「不登校になって失ったもの」「得たもの」について何度も記事を書いてきました。

お時間があれば、過去記事をリンクしておきます。

www.nicohappylife.com

 

 

www.nicohappylife.com

 

 

失ったもので続けていたら…と思うものは、1つ,だけ

うーん、2つ?

1つ目は、スギ、ハウスダストの減感作療法です。

 

中学生になり新たにスギの舌下療法を始め、最近ダニの舌下を始めました。

後悔してもやり直せますね。

ただ、医療費が無料の時に治療を終えたかった。

なので、Nicomamaだけが後悔かも。

 

 

2つ目は、歯の矯正

Nicoは、前歯が出っ歯

その歯が前に傾いていました。

 

歯の矯正だけは何とか頑張って続けていましたが、第二段階へ移るブラケットの装着には進めませんでした。

前歯が後ろに下がり、傾きが治ったので口の元の印象はかなり変わりました。

後は、ブラケットの装着で少し凸凹した歯並びを整えるはずでしたが終了

 

今のNicoの歯並びは、悪いという印象は与えないので途中で終了しても問題はなかったのかもしれません。

 

 

Nico的には、不登校になって失ったもので後悔はないようです。

 

 

不登校になってから始めた習い事

 

  • 公文
  • ピアノ

 

自分から習いたいと言い出した習い事ですが、絵とピアノは長くは続きませんでした。

どちらも元気のない周期が訪れて、行くことが難しくなり退会

公文と絵とピアノ、何が違ったのでしょう?

 

時間が経った今だからわかることですが、おそらく先生とNicoの距離感

 

絵の先生は、エネルギッシュな先生

Nicomamaにもいつも「学校にいけるのでは?」「Nicoちゃんはしっかりしていて周りがよく見えるからリーダーシップがとれるはず。」「学校に行かせてみては?」と言っていました。

Nicomamaは、愛想笑いでやりすごしていましたが、Nicoは上手く対応できなかったと思います。

絵の先生の気持ちとしては、なんとか不登校問題を一緒にいい方向に向かわせてと思っての発言だったと思いますが、少し苦しかったです。

辞めた後、一度もまた習いたいと言い出さなかったので、Nicoも息苦しかったのかも。

 

 

ピアノの先生は、優しい先生

不登校ということを理解してくれていましたが、どうかかわっていいのか?距離のとりかたがわからないようでした。

なので、個人的な話はお互いに全くしませんでした。

お互いに距離をとっていたので信頼関係を結ぶまでに至らなかったのが再開出来なかった理由かな。

 

 

専門ではない人が、不登校の子に関わることは難しい。

親だって不登校である状況を受け入れるのに年単位で時間がかかるのですから、無理なのかもしれません。

 

それでも、不登校に悩む子が、Nicoのように不登校になって良かったと思える何かが見つかることを願っています。

 

 

 

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