こんばんは。
今日のNicoの心の天気は「晴れ」でした。
おかげさまで、Nicoは元気ですヽ(^o^)丿
コラムの紹介
精神科医の先生(泉谷 閑示)のコラム:生きづらさを感じている人へのメッセージです。
月1回で4回連載の読み物になります。
「何をしたいのかわからない」という悩みについてです。
- 「温度」の低い悩みの急増
- 生まれた時にはもうレールがひかれている
- 「反抗」の大切さ
「温度」の低い悩みの急増
生まれた時には、もうレールが敷かれている
子どもは本来、暇でつまらない「空白の時間」の中で、遊びを考案したり、さまざまな好奇心を発動させる存在である。このような時間がすっかり奪われてしまったことで、子どもたちの生は「受動的」なものに変質させられてしまった。さらに、ゲームやスマホなどの便利なツールが「暇つぶし」として与えられてしまったことによって、子どもたちの「受動的生」はなおのこと加速させられてしまったのだ。
Nico家では、ここに書かれていることは当てはまらないようです。
おそらくそれは、Nico家には長い間テレビもゲームもなく、Nicoが4年生になるまで登場しなかったのが一因かもしれません。
Nicomamaは、テレビ、ゲーム反対派ではないです。テレビは新居をさがす、建てる予定でウダウダしていて新しい家が決まったら、家に合わせて買うつもりだったんです。
いざ、テレビ購入となったときにはNicoの強烈な自我が目覚めてきて、買うのに反対されました(-_-)
ゲームも同じで、子供が欲しがったら買うつもりだったんです。でも、Nicoは欲しがらず、弟のFreeが欲しがったタイミングで我が家にゲームが登場しました。
我が家には、幸運なこと?に暇でつまらない空白の時間が大量にあり、受動的な遊びがなかったため能動的生が育ったのかもしれません。
今も、テレビはリビングにはなく離れた和室にあるため、寒くてあまり観に行かないです。
Nicoは、やりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、嫌いなことがハッキリしています。
Nicoが不登校になったのは、友達との温度差も1つの原因なのかもしれませんね。
「反抗」の大切さ
自分が自分であるためには、どうしても「反抗」という要素が欠かせないものなのである。
何かをする時にそれが「心」の発する「やりたい」なのか、「頭」の命ずる「すべき」なのかを見分けなければならない。そしてもし、それが「頭」の「すべき」によるものだと分かったならば、自分の「心」は果たしてそれをどう思っているのかと問い掛けてみる。「心」を尊重することなのである。そうすれば、息を潜めていた「心」は必ずや元気を取り戻して、いずれきっぱりと「われは欲す」の中身を教えてくれるようになることだろう。
子供に反抗されるのって、親として苦しい、イライラしてしまいます。
でも、自分が自分であるために必要なものなんですね。
Nicoには、今でもかなり反抗されていますが、思いっきり反抗をしてもらい元気になってもらいたいです。
最後に
コラムの挿絵を担当しているのは、イラストレーターのmiccaです。
miccaは、私の高校のころからの友人で、私は「miccaの絵」が大好きでした。
好きなことがあるって素敵です。
Nicoも心の声に問いかけて、やりたいこと、好きなことをしていって欲しいと思います。
私のつたない解釈ではなく、是非、先生のコラムの原本をお読みください。
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